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真夏日和

   つらい。私の景色を返して。お母さんと私と妹で家にいたら知らない男の人が入ってきた。お母さんは立ち上がってその人に笑いかけた。その人は私の名前を呼んで、よくわからないことを言った。内容は忘れてしまった。でも、何にもわからなかったけどわかったんだ。これはいけないことだこれはいけないことだって。だけど私はいつの間にか眠ってしまったし、妹は最初から眠りっぱなしだった。目が覚めると蝉の鳴き声は止んでいて、リビングにおいてある虫箱の中から鈴虫の音色のはじまりがはじまる。きれいに響くりりりりんの中に病んでしまった音色が反響していた。一匹よわってしまった鈴虫が苦しそうに弾いていたものだった。かえしてくれかえしてくれ、そんな風に聞こえた。冷蔵庫の重苦しくて涼しい音がキッチンの方から響いていたけれど、妹はなにも知らないような顔をしてまだ眠っている。

 私は立ち上がって私より大きい和室の窓を開けた。向こうの方を見ると紅い太陽がかすかに残っていて、世界の色が集まっていった。群青はどこまでも太陽を追いかけていっていつの間にか自分の身体が真っ赤になってることに気づくのかな。きっとそれは南半球に辿り着いても終わらない。ブラジルで追いかけっこしたら汗まみれで楽しいだろうな。お父さんと妹とお母さんと私で砂ほこりが立ちこめてるような荒れ地で一直線になって走る。それで走り終わったらみんなでアイスを食べるんだ。「やっぱりお父さんは早いなあ」「君もなかなかだったよ」そんな会話をすることができるだろうか「お姉ちゃんは早いなあ」「由香もなかなかだったよ」「パパもお姉ちゃんも由香も、そこらへんにして。さあ、みんなご飯にしましょう」

 

 ドアの閉まる音がした。私が玄関の方に向かって駆けていくとお母さんがいて、アイス食べる? と言った。私はお母さんの周りをぐるぐるぐるぐると駆けずり回りながらこのまま溶けてしまえばいいのになと思った。嬉しくて嬉しくてたまらないっていう顔をしていたと思う。それは本当だ。でも底抜けに悲しかったんだ。なんでかわからないけれど痛くてたまらなかった。世界で一番の馬鹿になった気がした。怖くてたまらなかった。今日は当直の日だ。お父さんは、帰ってこない。