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私は文章が書けない

 つらい。私の景色を返して。

 

 お父さんがおうちに帰ってこなくなったのは桜が少しずつ色づいていく季節のことだった。私は1年の休園を経て、ようやく幼稚園に通う事が出来ると意気込んでいた。お父さんの病院のすぐ傍にある幼稚園。私はスミレ組だった。これから始まる生活にわくわくしていた。友達できるかな、とか、幼稚園ってどんなとこなんだろう、とか。そんな簡単な事ばっかり考えていたな。やっぱり私は能天気だった。私が幼稚園に通いはじめたら、何もかもぜんぶ解決するんだと思い込んでたんだから。

 お父さんとお母さんはいつも喧嘩ばかりしていた。今年に入ってからはそれが一層ひどくなって、お父さんがお母さんに手を上げることもあった。空気が軋むって、こういうことを言うのかもしれない。ある夜の夕飯のあと、わたしたち姉妹は二階に上がっているようにとお母さんに言われた。わたしは仕方なく階段をのぼっていった。なんだか胸が苦しくて、身体全部が心臓になったみたいに脈打っていた。二階で耳をすませてみたが、家はしずまりかえっていた。だけど少しすると物音や何やらよくわからない声やらが飛び交っては静かになってを繰り返し、不穏な空気がドアの下のわずかの隙間から流れ込んで来る。下でなにが起きているのかは分からなかったが、これがよくないことだってことだけは分かった。

 

 お父さんとお母さんは水と油みたいなものだ。決して混じりあえないふたりが家族でいるためには努力が必要だろう。それなのに二人は、自分のことばかり主張している。子どもの私にもそれくらいはわかる。喧嘩してるお父さんとお母さんは、幼稚園での陣地争いとかおもちゃの取り合いとかの、そういう時の園児たちの顔にそっくりだから。「私は早く大きくならなきゃいけないの、どうか、間に合って」と毎日思った。だって小さい私の言葉は、大人の耳には届かない。言葉自体に力はないんだ、言葉を使う人間に力があるかどうかだ。それだけのことなんだ。

 

 次の日、朝起きるとお母さんはリビングに居てお父さんの煙草を吸っていた。お父さんは、換気扇の下でしか吸ってはいけない事になっている。お母さんの顔を見たら「お母さん、けむいよ」と気づくと私は言っていて、お母さんは「ごめんね」とすぐに火を消した。そんなことを言いたかったわけじゃなかった。ただ胸の奥で固まりつつある、黒い固まりを取ってほしかっただけだった。お母さんの顔をよく見ると目の下には膜を張ったようなクマが浮き上がっていて、顔色は真っ青だった。お母さんは無言で立ち上がって寝室の方に向かった。

「今日は幼稚園、休みなさい」

お母さんは階段を上りながら背中でそう言うと、返答を待つ事なく寝室のドアを閉めた。私は何も言う事が出来ずに、ただ現実を受け入れるしかなかった。たぶん絶望していたんだと思う。遅れて妹が起きて来て、お腹すいた、と泣きそうな声で言う。私は冷蔵庫の中を見てもう一回絶望して、1人でスーパーマーケットに行こうとしたんだけど、どうしても妹がついていきたいって泣き出して、こんな状態で家には置いとけないよねって二人で手をつないで歩き出した。

 夕方にはお母さんが起きて来て、「買い物行ってくれたんだ、ありがとう」って言って、私はなんって返事したらいいのかわからなくて、でもなにか言わなきゃいけないような気がして「どういたしまして」って言う。でも本当に言いたかった言葉は違ったんだと思う。最近は、なにもかもがわからないんだ。

 その日、お父さんは帰ってこなかった。これからしばらく病院に泊まり込みで仕事をすることになったらしい。夕食の時にお母さんが言っていた。でもなんでだろう、明日になったら全部が元に戻っている気がした。夜明け前が一番暗いとかどうとか、明けない夜はないとか、言いたいのはそう言う事じゃない。あの頃の私にとって今日も昨日も一週間後も一ヶ月後も同じ毎日の集積でしかなかったということだ。等しく時間が流れては、優しく明日へとつながっていった。どんなに遊び回って疲れても、一晩寝てしまえばいつだって元気になれた。泥まみれになって由香と田んぼで遊んでも、小さい男の子たちとあちらこちらを駆け回っても。眠るのは再び生まれるのと全く同じだと思っていた。だけど間違っていた。私はやっぱり何も知らなかったんだ。

 

 次の日からお母さんは、朝になってもベットから出てこなくなり、たまにリビングにやって来ると、わたしたち姉妹を思いつめた目で呆然と眺めるようになった。ぼさぼさ頭で青白い顔をしていて、目だけがらんらんと光っていた。そのうち、突然何の前触れもなく泣き出す事が多くなった。わたしたちはその度に狼狽し、二階の子供部屋の押し入れに二人で隠れた。泣き声が止んだ頃、私は1人でリビングに降りて、お母さんにティッシュを手渡す。お母さんは「ごめんね、ごめんね、ごめんね」とウサギみたいになった真ん丸の瞳をぱちくりさせて、涙を拭いて、そして鼻をかむ。そんな日々がしばらく続くと、今度は買い物と称して車に乗ってどこかへ出かけてしまうようになった。私は悲しかったが、だけどどこか安堵していた。お母さんが泣いている時の妹は不安そうだったが、それ以外は全く気にならない様子だった。アイスやお菓子は好き勝手に食べれるし、テレビも自由に観れる。それが心底嬉しいみたいだった。

 

 私はいつもみたいに妹に晩御飯を作ってやり、ふたりで静かに食べた。お母さんは買い物。誰も掃除する人がいなくなって、荒れ放題の部屋を眺める。テレビから、下らない二人組の下らない冗談と、能天気な笑い声が聞こえる。妹が声を上げて笑っている。ねえ、何が面白いの?なんだかいきなり吐き気がして、私は急いで洗面所に向かった。だけど嘔吐するものはなにもなかった。透明なとろとろが糸を引いて口から垂れてきて、すぐに嗚咽が追いかけて来た。鼻と頭のおくがツーンとひきつって、涙がごぼごぼとあふれてくる。妹が「おねいちゃーん、おねいちゃーん」と呼んでいるのが聞こえる。私はすぐに元の私に戻ってリビングに向かった。ごぼごぼごぼごぼ。どこかから排水溝の音がする。この排水溝は、お父さんの病院にもきっとつながっている。

 

 はじめてその男が家にやってきたのは、夏休みのある昼間のことだった。蝉たちの声がアスファルトに反響して、太陽の光を幾重にもつよく私たちに感じさせていた。その頃の私は、もう幼稚園に通うことは完全に諦めていた。

   その日、お母さんはいつになく気分がよさそうだった。朝、リビングに行くと、地獄みたいに散らかっていた部屋がすっきりと整えられていて、数ヶ月ぶりの朝食が食卓に用意されていた。私の大好きなベーコンエッグだ。

お母さんは黄色い花柄のワンピースを着て、ミニ丈のスカートからのぞく真っ白い足が朝の光に照らされている。私たちが朝食をとっている横でお母さんが化粧をはじめた。妹はまだ上手く箸が使えないから、私は後ろに回ってこわばった指を一つ一つ、ほぐしていく。そのとき、私は自分の瞳がすうっと後ろの奥の方に引っ張られるような気がした。お母さんも、妹も、部屋の様子も、よくわかる。なにもかにもが違っているようだった。電話台の上には純白の花も生けられている。いままで重苦しかった家の中の空気が急に軽くなったような気がした。だけれど私の目にはその花びらが、なまあたたかくて柔らかい、なんだかこの世で一番不潔なものに映った。

 

 食事を終えてリビングでドリルをやっているとチャイムが鳴った。私が行こうとするとお母さんが水道を止めて「私が行く」と言った。「大丈夫だから、ちょっとまっててね!」

そしてお母さんに続いて男が家の中にやって来た。そいつは、もう真夏だってのに真っ黒な服を着て、どくろの指輪とかしちゃって、甘い匂いとごつごつしたアクセサリーがやたらと煩くて、背が高くて、馬鹿みたいに青白くて、こんな人を今まで私は、見たことがなかった。ひとめ見ただけでそいつが死神だってわかった。そいつは丁寧に私の名前を呼んで、なにかよくわからないことを愛想よく言った。それだけのことだった。でも人懐っこい妹はそいつのつまらない冗談でキャハキャハ騒いで走ってまわっていた。母が少女のような顔で笑っている。この人は今、楽しくて仕方がないんだと思った。私一人が取り残された気がした。足元が崩れていくみたいだった。こういうとき、浮いているのか沈んでいるのかよくわからない。ただ、急にどこか別の世界に来てしまった感じがする。私のいないどこか別の世界に、来てしまった気がする。

母は私たちにリビングから出ないようにと言いつけて、死神とふたりで奥の部屋へと行ってしまった。

ふたりはいつまでもいつまでも部屋から出てこなかった。

蝉時雨が頭の中を、ゆっくりゆっくり、覆いつくしてゆく。

 

 長い夢を見ているとすぐにわかった。夢の中で、私は感情を持たない。いつだってそうだ。深い所にずっと沈み込んでいくようで実は浮き上がっている。そういった感覚の食い違いがはじまりのはじまりで、気づけば自分の心の奥にいつのまにか迷い込んでいる。

 たとえば陽だまりの中の二人の隠れ家。私はそういうものにあこがれていたのかもしれない。そこにいれば暖かい陽光がみんな平等に落ちてくる。だから誰も、平等なんて言葉を思いつきもしない。一人の人間の中で生きる無数の生命体のように。宇宙は無限だけど無限の構成要素の一つ一つの私たちが無限だから宇宙は無限なんだよ知ってる?

 私たちは河川敷の上の土手に百円ショップで買って集めたビニールシートをしきつめて、引っ越し祝いにもらったピクニックセットの中にはお母さんの作りなれていない料理がぎっしり。私はわずかばかりの自分のお手伝いを過大に報告して、妹もお父さんもそれを美味しい美味しいといって食べて、お母さんと私は顔を見合わせて笑う。遠くの方には釣りをしている人がちらほらと、なにも変わらない景色のように映り込んでいる。

 生ぬるい空気感をさらりと流す風がひとすじ私たちの間をきれいに駆け抜けていって、何も話すことがないのにそれでもどこか満たされているんだ。話をする必要がないという事実はお互いの人間の心地よさに由来していて、景色に感情が自然にとけ込んでいるから私たちは通じ合っていると思う。正しさも誤りも、形容詞に組み込まれたお互いを意味なく傷つけあう突起物をなめらかに落としていき、生後間もない細胞の完全的な丸さを頭に浮かべる頃にはとぷとぷと夕暮れがはじまっている。

 そして私たちは歩き出す。もう帰らなきゃいけない。多摩川の奥の奥の方が橙赤色に染まってそこに平面が存在することを主張しながら、とびとびに煌めいては光を失っていく川の水の確かな質量を持った粒子たちが目を向ける度に全部とびこんできて、この景色が終わっていくのが信じられそうもない。でも終わってしまう、誰でも知っていることだ。妹はとっくに眠ってしまっていて、まだこの子は私の半分しか生きてないもんなって思って、私はどちらかというと「大人側」にいるつもりで、お手伝いが誇らしくて。両手に抱えられたトートバッグの中で空になったピクニックボックスが踊ってカラカラと足音の代わりに私はその音を落としていく。

 お父さんは少しずつお父さんではなくなっていってお母さんもお母さんじゃなくなっていって、だけどもそれは仕方がないことでどちらかというと今のこの現在がイレギュラーなもので、終わってしまうものだから馬鹿みたいに美しくて、終わってしまうものにしか意味なんてないんだっていうのを私はわかったつもりでいるのに、気づけばお父さんに抱っこされていて、景色は確かに目の前にあるのにどうしても手を伸ばしてふれることが出来なくて心地の良い温度でふやけた私が柔らかくくたびれた毛布に包まれる頃、最後の意識で振り絞った「おやすみ」の返事を聞いた瞬間にずっとずっと深いところに落ちていく。

 

 私と妹はいつのまにかリビングのソファーで寝てしまっていたようだった。目が覚めると蝉の声は止んでいて、そのかわりにリビングに置いてある虫箱の中から鈴虫の音色。綺麗に響くりりりんの中に、病んでしまった音色が反響してる。弱ってしまった鈴虫がいるようだった。かえしてくれかえしてくれ、そんな風に聞こえた。

 冷蔵庫の重苦しくて涼しい音がキッチンの方から響いていた。妹は何も知らないような顔をしてまだ眠っている。その時、わたしたち家族は形を失ってしまったのだと、私ははっきり理解した。もしかしたら、この家には最初から誰もいなかったのかもしれない。

 

 それからすぐにお母さんは家を出て、そのまま二度と帰って来なかった。

お母さんは新しい世界へ行ってしまったのだ。お父さんも、妹も、私も、全てをすてて。死神とふたりで。

 入れ替わりに家にやってくるようになったお父さんはいつもイライラしていた。水面下でいろんな話が交わされているようだった。一ヶ月後、妹はお母さんに引き取られてこの家を去った。満面の笑みで「おねいちゃんまたね!」と言っていた。お母さんは私に「元気でね」と言った。私は手を振る事しか出来なかった。しばらくして私は父方のおばあちゃんとおじいちゃんの所にいく事になった。お父さんには仕事があるし、私は幼稚園に行かなくてはならないらしいし。ああ、私は何の為に大人になるのかがわからなくなってしまった。幼稚園に行くのは小学校に行くためで、小学校に行くのは中学校に行くためで、中学は高校のため、高校は大学のため、大学は仕事の、仕事は大人の。大人。大人って何だ。私が大人になりたかったのはついこの前だったんだ。何年も先に大人になったって仕方がない、その時に私たちはもう絶対に家族じゃない。私は、なんのために大人になるんだろう。ねえ由香、お前は何の為に大人になるの?お父さん、お母さんはどうして大人になったの?

 ねえどうしたらよかったんだろう、思ってることを全部言えばよかったのかな。私はみんなで暮らしたかっただけだったんだ。楽しくなくてもよかった、喧嘩しても、テレビが見れなくても、おやつがなくてもよかった。文句を良いながら、泣きながら、それでもみんなで一緒にいたかった。でももう遅いね、私は祖父母に育てられ、明日に小学校を卒業する。

 私が一番最初に出席した結婚式は、私のお父さんのものだった。お父さんはあれからすぐに職場の同僚と再婚したからだ。私もなんだかよくわからない祝福の言葉を読んだ。みんな褒めてくれた。偉いね、すごいねって。あんまり嬉しくなかったな。だって、原稿はお父さんが書いたし、私はお父さんたちと一緒に暮らせないって、もう知ってたから。そういう約束になっていたらしい。全然知らない人に、ずいぶん嫌われたって落ち込んだっけ。それから6年が経って、義弟が三人いる。すっかりあの家は活気を取り戻しているだろう。お父さん一家は、あの私たちの家に住んでいる。一度も見た事がないからわからないけれど、きっと私と由香の部屋を三人の子どもたちで分けているのだろう。ちょっとせまいかもね、私がした落書きとかもバレてるかもしれない。それはちょっと恥ずかしい。

 お母さんは死神と別れて、由香と二人で支え合って生きている。去年の年賀状で知った事だ。葉書には、二人で仲良く寄り添っている写真がプリントされていた。受け取ったとき、思わず涙がこぼれた。お母さんはちょっと小さくなって、由香は大きくなっていた。でも、何も変わらなかった。良い笑顔が二つ、熟れたてのトマトのように並んでいた。なんだかんだで上手く行っているみたいだ。だって、もう春なのだからね。

 卒業式を終えて、そのあとの焼き肉パーティとかなんやら、お別れ会的なものを全部ブッチして1人多摩川に寝そべって夕陽を見ていた。何もかもがどうでもよくなってしまった気がした。あれほど頑張って中学受験をしたのにな。ただ私は、自分の寂しさを紛らわす為の何かを必要としてただけだったんだろうな。私はこれから、どうやって生きていこうか。何だか全てが終わってしまったみたいな気がしていた。でも、まだ何も始まってすらいないんだ。身体全部を投げ出して、大の字になって伸びた。夕陽が斜めに差し込んできて、ああこれが斜陽ってやつなのかな、と思ったその時、しょうもない閃きが私の頭の中に思いついた。それは、ほんとにしょうもなくて、「長生きをしよう」というものだった。

 これからいろんな事があって、一度は離れてしまった私たち家族の道が再び交差する時が来るかもしれない。可能性が0ということはないだろう、最近読んだ量子力学の本によると、世界は確率の積層だけで形成されているらしいし。だから生きている限り、確率は0にならない。私たちは元通りではなくても、また同じ世界で生きる事が出来るかもしれない。そうなったとき、また昔みたいに自分が考えている事や、本当に言いたい事を言えないなんていう事はどうしても避けたい。もしチャンスが巡って来たら、私は手紙を書きたい。伝えたい。未来には絶望しかなくても、それでも試みることくらいは許されるはずだ。だから練習をしよう。自分の考えている事や、感じている事を正確に伝えられるように。お母さんに、お父さんに、由香に、弟たちに、まだ見ぬ他の家族たちに。私は飲み込みが悪いから、きっと時間がかかるだろう。だから長生きしなければならない。そのとき自分に、私は文章が書けない、なんて言わせない。遠くから私の名前を呼ぶ声がする。今から焼肉パーティ、間に合うかな。本当は私、行きたかったんだ。ああ私はほんとうに、ほんとうに、私は文章が書けない。