バレリーナ(1)

   私のお母さんは、バレリーナでした。だから物心つく前からバレエは、私のすべてだったのです。きついレッスンをずっと母から強いられてきました。それはこの世界で当然のことのようでした。私も他の子供たちと同じように淡く透明な涙を流し、歯を食いしばりながらレッスンに通い、家に帰ってからレッスンの復習をする毎日。一年一年と年齢を重ねる度、私たちは大人社会の真似事をして大きくなりました。どうやら母の見立ては正しかったらしく、最初から順調なスタート。神懸かりの幸運に何度も恵まれ、ついに私はトップバレリーナに登り詰めました。逆算すれば才能があったということになるのでしょう。いろんな人たちから羨ましがられました。妬まれました。栄光、とはこういうものなのかと思いました。喜びで胸がいっぱいでした。少し息苦しいくらいに。
 でもそれは、一瞬にして終わりを告げることになりました。ナイトショウのリハーサルに向かう道すがら、通り魔に顔を傷つけられたのです。そして左目の視力を失いました。私はバレエ団を辞めることになりました。私が栄光だと思っていたものは、皮膚一枚の間に存在していたものだったのです。母は、「あなたの人生はもう終わりよ」とずっと泣いていました。

 その事件からしばらくして母は私の家を出て弟と暮らし始めました。「そうか、私の人生はもう終わってしまったのか」と思いました。私は毎日、右目から涙を流して過ごしました。それはなんだか遙かの昔、褪せた幼年時代を思い出させました。なにかをきっかけに、殆どの過去の記憶が失われているのに気づきました。演技の最後に大ポカをした一番最初の発表会、辛かったレッスン、お世話になった先生の顔、ライバルであり戦友であった候補生たちとのやりとり、素晴らしかったお母さんの最後の演技。全てがうすくうすく退色していたのです。私に起こったはずの出来事なのに、それらは全部、まるで他人の話みたいで、点と点とを結びつける線は、どこを探しても見つかりませんでした。私は途方に暮れました。いつから、こんなに空っぽになってしまったのでしょうか。身体が錆び付いていくのがわかりました。バレエは、急速に私の元からいなくなってしまうように感じられました。当時の私は、失った過去の世界を探すように、ただ現実にしがみついていただけなのかもしれません。そんな生活が、二年くらい続きました。
 
 その間、三回死のうとしました(二回が服毒。一回が、飛び込み)。でも、死ねませんでした。運悪く、(本当は運良く、なのでしょうけれど)助かってしまいました。だから私は四度目を試みるつもりだったのです。セーヌ川に架かる橋の上で揺蕩う水面を見下しながら、私は自分の人生に諦めをつけようとしていました。「自分の人生は終わってしまったのだ。なのに私はこうして生きている、だから、もう、終わりにしなければならない」と。最後の言葉を自分にかけて、最後の助走をつけたのに、それなのに飛び降りることが出来ませんでした。私はそのままミラボー橋の欄干を何度かこぶしで殴りつけ、家に帰りました。玄関を抜けて誰もいないリビングにたどり着くと、いまいましく思いながら救急箱の中から包帯を取り出し左手にまきつけようとした、その時です。なぜかはわかりませんが、過去の自分、正確に言うならば14歳の自分が持っていたはずの記憶に接続することが出来たのです。

 選手控え室でお母さんは私の右膝を包帯で締め付けてくれていました。大事な大会を控えて、練習に熱が入りすぎ、関節を痛めてしまったのです。膝はバレリーナにとって生命線でした。彼女は「今回は、絶対に勝たなきゃならないの」と言いました。「あなたのためだから」
 私は下唇を強く噛んで、外からの痛みを伴う強い圧迫と、内から沸き起こる軋みに耐えていました。舞台に降りたち、巻き起こる歓声とライトの煌めきに身体を任せ、瞳をゆっくり閉じて「1、2、3、」と、心の中で数えました。
   大会は、優勝に終わりました。「神様!」とお母さんは言い、私も強く強く感謝の祈りを捧げました。

 いつのまにか私は戻ってきていました。ずたずたになった左目はもうあの日からずっと涸れてしまいましたが、右目から透き通った、塩湖の恵みのような涙がひとすじ、零れて駆け抜けていきました。それはあの頃の、間違いなくあの頃の私が流すはずだった淡く透明な涙でした。そのひとすじが、おぼろげに存在していた点と点とをつないでくれたのかもしれません。はじめて私は、世界と手をつなぐことが出来たのです。
 バレエをするということが、私は私のためになると思っていたのですが、それは誤りでした。それはお母さんの夢だったのです。私の夢では、ありませんでした。胸の奥から少しずつ、何かがせり上がってくるのがわかりました。私はようやく、自分の目で世界を視ることが出来たのです。しっかりとわかりました。終わってしまった人生は、母の中の私の人生なのでした。
 こうして私の人生は始まったのです。そしてこれから書かれることは、その記録です。