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下らない酒をふたりで飲むように

 台風のせいだろうか、外では嫌な雨が降っている。迷い雨とでも言ったら良いのか、土砂降りになったり急に止んだりを繰り返している。
 僕は今、数式と記号を使って真実とはかけ離れた単純な物語を高校生に教えている。記憶に残れば何でも良いから少々間違った事も教える。学術的には御法度になっている事さえも。その子に必要な事だと判断すれば、何のためらいもなく学問的禁忌を犯す。それがいいことなのかはわからない。ただ薬と暴力と女を使って金を稼ぐよりは幾分かはマシと言うだけなのかもしれない。
 今日はずっと仕事場で台風の話題で持ち切りだった。会話の流れをきらないよう適切に相槌を打ちながら、僕は話を聞いていた。人の話を聞くのは簡単だ。話したい事を先回りして理解して、そこに辿り着くようにピリオドをおいていけばいい。それだけのことだ。誰もピリオドの数なんか数えちゃいない。
 だけれど雨がどうしたというのだろう。ひとたび土砂降りになってしまえばそれまでのこと、雨粒も洋服も、区別がつかないのだ。いや、雨に限らず世の中の全てのものがそう言う性質を持っているのだけども。幸いにして、或は不幸にして。
 あくまで予想に過ぎないんだ、全ての事は。数多くの予想を予報を繰り返して間違えないよう正しく対処しようとする、そう言う人たちはとても美しくて強くて、どこか美しく整えられた建築を連想させる。僕? やめてくれ。それならきっと、お似合いなのはホームレスだ。
 だって僕には、帰る場所などないのだから。帰る場所のない人間など、死体と見分けがつかないだろう。顰蹙を買うのが怖くて誰も言わないのだ。真実などそんなものだ。
 雨が強く窓に打ち付けられて死に続けている。なす術もなく、ぐしゃぐしゃにつぶれて。


 「あなたの話が聞きたい」と言う言葉には、どうやって応えたらいいのだろうか。良い答えを知っている人がいたら誰でも良い、僕にそっと耳打ちしてくれないか。
 だけれどもひとつ覚えておいてほしい。最近の僕は本を読む事すら出来ず、何かを考えようとするといつも昔の事が思い出されて酷い気持ちになり、あまつさえ眠気が催されて来て、結局何も考える事が出来ないんだ。それで一体どんな話をしたら良いと言うのだろう。どうやって目の前にいる人の事を楽しませてあげられると言うのだろう。こんな無理難題に応えてくれる人がいたら是非友達になりたい。ああだけどでもきっと、そんなにもいい人と言うのはね、僕となんか友達になってくれるわけがないんだ。

 仕方がないから僕はひとりで話し始めることにする。誰も聞く人のいない深夜のツイキャスのように。壁に向かって、目をつむって、強い酒を横において、僕はひとり話し始めることにする。
 だから音量は、君が自分で調節してくれ。よろしく頼む。
 「こんばんは、黒須です。今日は酷い夜みたいです。ねえ、聞こえますか?」
 

 夏がまだ生きていた頃の話をしよう。それはもう、ずっとずっと昔の物語みたいな気がする。最近はどんなに暖かくても、夏の存在を感じる事は無くなってしまった。いなくなってしまった人間の所有物が淡く透明な像を緩やかに結んでは解いていくみたいに。残り香だけが微かに、その存在を示すかのように。それは全く感情と同じだ。感情は、いつだって遅れてやって来る。
 
 まだ八月だったあの頃はさ、世はなべて事もなし、神は天にいまし、とでも言いたげな平和な時間が流れていたような気がする。世界は圧倒的に夏休みで、自分には何の関係がなくとも世界が3ルクスほど艶やかに粧し込んでいるような焦燥感覚、それが正しいかはわからないけれどその熱と地獄の端みたいな多忙さに追われて僕は何だか幸せな気持ちで毎日を過ごしていたんだ。熱病のけいれん発作なんて言わないでほしい、本当に幸せだったのさ。いままで僕は嘘ばかりついて生きて来たけどこれは本当の話なんだ。

 ある朝、僕は酷く憂鬱な気持ちで職場に向かっていた。憂鬱の理由は現実の酷い巡り合わせのせいもあったが、大部分は僕のせいだった。最低な気分だった。人間と言うのは自分に絶望するのが一番辛いものなのさ。ああだけどあの日ばかりは救われたな。明ける直前の夜が一番暗いなんていう、イエス様もびっくり仰天の妄言を信じちゃうくらいにはね。
 これは僕が東京を気に入っている唯一の美質といってもいいんだが、都心の一等地というのは緑道歩道並木道、レンガを敷き詰めてオシャレに演出されていてね、それが荒んだ心をほどよくやわらげてくれるんだな。人が傷ついて打ちひしがれる事さえこの都市では織り込み済みなのかもしれない。まあ金の無駄遣いと言ってしまえばそれまでなんだけど、何もかもが無駄だというなら生きている事さえ無駄と言う事になってしまう。だからあれはあれで意味が少しでもあるんだ。だって僕はあの日、今後ずっと忘れられないような美しい景色に出会ったのだから。

 駅を降りて喫煙所を抜けて緑道に入ると、お父さんと手をつないだ小さい女の子が向こうから歩いてくるのが見えた。ピンク色のワンピースを着て、赤い靴で、つないだ手をぶんぶん振っていてね、お父さんといるのが楽しくて仕方がないってのが遠くにいる僕にもわかるんだな。
 それでちょっとしたらその子が反対側の歩道を散歩しているシベリアンハスキーを見つけたんだ。なにせシベリアンハスキーってのは目につくからね。大きいし、白いし、強そうで、つまり、優しそうでさ。
 そしたらその子、「おおきい! おおきいいぬ! ねえおとうさんみておおきいいぬだよ!」って身体を揺り動かしながら弾けるような笑顔を振りまきはじめたんだ。これにはびっくりしちゃったな。散歩のひもを握っていたおじさんもニコニコしちゃってさ、すれ違ってもうずいぶんシベリアンハスキーは遠くに行ってしまってるのにその女の子ときたら、歩きながらたびたび身体をよじって犬の方を見てるんだな。子どもというのはこういうところがあるものだから、たまにまいっちゃうよな。

 これがひとりで深夜に見ている映画だったら、僕は間違いなく号泣してただろう。ポテトチップとポップコーンとコーラにまみれて、塩味のする指をしゃぶりながら、すすり泣いてはコーラを飲んで目の奥がツンとする甘い痛みに揺られながら。きっとその日はよく眠れるだろう。次の日の朝の事は考えたくないけどね。僕は美しい映画を見ると決まってその映画が夢に出てくるタイプの人間なんだ。つまり、夢見がちって言うやつなんだろう。まあそれは否定しないよ。でもいいんだ。正義と結婚するような人間には興味がないからね。


 ねえ君には聞こえるだろうか。感情が追いついてくる音が。

 今年の一月、育ての親が死んだ。老衰と言う事になっている。でも現実は酷いもんだった。「この世界では絶望した人間から死んでいく」と、昔の女が言っていた事を思い出しながら僕は彼女の棺に花を手向けていた。めいいっぱいの花を。色とりどりの花を。僕に美しい忠告をしてくれたその女も、もうこの世にはいないのだ。みんなが泣いていた。でもそれは、ただそこに涙があったと言うだけだ。

 言葉だけが、記憶の片隅でかさかさ音を立て続ける。

「あなたのお父さんは本当は作家になりたかったのよ。それも、短編作家に」
「僕には最初から医者になりたかったって言ってたのに」
「そう、でも文才がなかったのよ」
「はは、じゃあ僕に文才がいないのは遺伝ですね」
 父の愛人は僕を見て懐かしそうに笑ってそれから、「さようなら」と言った。
 僕も「さようなら」と答えた。
 とうとう僕も、本当のさようならがわかる人間になってしまったよ。お父さん。

 

 いつまでたってもわからない。僕は何を、話せば良かったのか。

 十月のある夜、LINEがやってきた。頭の良い女の人から。軽いノックの音がするかのような文面だった。「あなたの話が聞きたい、」と。何かの間違いかと思ったね。僕は胸が高鳴ったさ。本当はすぐに電話をかけるべきだったんだと思うよ。なにせ僕はその女の人にシンパシーを感じていたんだから。でも一瞬の後、思いとどまった。僕は酷く泥酔していたし、話せる事など何もない。美しいもの高尚なもの、人の気を引くようなものなんか何処を探しても一つもなく、其処に在るのは陰惨な現実と感情の残骸、或は透明な物語。そして酷くみっともない僕の姿と、そんな下らない話を聞かされて酷く困惑するその人の表情だけだった。
 ああ端的に言うとね、僕はただの「弱虫」だったんだ。それは本当の事だと思うよ。